戸枝Twitter戸枝blogふわりへリンクむそうへリンク
Hiromoto Toeda Archive
戸枝 陽基(とえだ ひろもと)ワールドへようこそ。
時間の許す限り。ごゆるりとお立ち寄り下さいね。

街の中でふわりふわりと考えるvol.15「デフレの特効薬」

 その日は、僕は、休日だった。リフレッシュしようと朝風呂に入って、ふーっと深いため息とつく。湯船に体を沈めながら、長いこと答えが出せずにいる悩みを頭の中でグルグル考えはじめる。その悩みとは、来年始まる支援費制度のこと。
 障害福祉もいよいよ老人の介護保険のように、来春から利用契約制に移行することになった。ふわりも国が決めた基準に従って申請をすれば、いよいよ公的なお金をもらいながら、まさに、必要な人すべてにサービスができるようになる。

 とっても喜ばしいことじゃないのと多くの人が言うけれど…。そのためには、大きな壁があるのだ。介護保険のように、財源をちゃんと用意してくれればよかったのに、そのあたりは、それぞれの市町村で頑張って確保してねといういい加減なこの制度。今のご時世、障害福祉に独自でドンとお金を使ってくれる自治体なんて、皆無に近い。むしろ、新たな支出を警戒し、ガッチリガードを固める自治体の方が圧倒的に多い。
 そんな自治体を懲りずにグルグルと回り、頭を下げているけれど、あまりいい話しをしてもらえない。それどころか、行く先々で、担当者から、どうして障害福祉にはお金が回せないのか、各自治体の台所事情を懇々と話され、気の弱い僕は、「大変ですねぇ」と担当者を慰めてしまう始末だ。 

 そんなやり取りの中で、いつも思うのは、「福祉に金を使うのってそんなにマイナスなの」っていうこと。どぶに捨てるとまではいかないが、間違いなく、福祉という生産性のない厄介者にたくさんのお金を使う訳にはいかないよというニュアンスを話の中で感じることは多い。そんな前提での交渉がスムーズに行く訳がない。僕の悩みというのは、その前提条件を崩すような説明が思いつかないだろうかという、ある意味では、究極のものなので、いくら水を被って考えても、答えが見つからなかったのだ。

 暗くなりそうな気分を高揚させるため、「あーあぁ♪やんなちゃ〜った、あぁああおどろいたぁ!」と風呂の天然エコーを利用して、気分良く得意の牧真二の漫談フレーズを大声で口ずさみながら、体を洗って風呂を出る。タオルで体を拭きながら、「さらに深く考えるには海だな」と呟き、悩みタイム継続を決断。支度をして、車に乗った。

 群馬生まれは海が好きだ。僕は、海なし県の群馬に生まれたので、知多に来てすでに15年になろうというのに、いまだに海を見ただけで、ワクワクしてしまう。海を毎日見て育った人達にはさっぱりわからない感覚かもしれないが、なんか、海を見ると得した気分になるのだ。
 何かの雑誌に、人が海や川など水に強く惹かれるのは、お母さんの胎内で羊水に包まれていた心地良さを無意識の世界で忘れていないからだと書いてあった。そうであるのかないのか、それは、わからないけれど、確かに僕は、疲れた時や物事を深く考える時に限って、無性に海が見たくなる。波の音を聞いていると何故かほっとして、頭がリラックスし、いいアイデアが浮かんでくる。その日もそれを期待して、海へ向かった。

 僕は、知多半島内にいくつか、好きな、海を眺める場所を持っている。その日は、天気良かったので、日当たりが良く、静かな海が見渡せる常滑の防波堤に行き、そこをいつものようによじ登った。「よいしょ!」と言って飛び上がり、手に力を込めて体を持ち上げ、背丈ほどもある防波堤に足をかける。 足に力を入れ、ようやく防波堤の上に立って、海の方をふっと見た。その瞬間、僕は凍りついた。

 「うっ、海がない!」まさに、そんな感じだった。西に沈む太陽の光が海の上をずっと走り、僕のすぐ前まで向かってきそうなくらいに見渡す限りの海だった所が、突然、陸地になっていた。あ然として辺りを見回す。大きな船からパイプを通って、土砂が海に落ちている。土砂が入っている所には、ダンプカーが走っている。大きなクレーンが、鉄骨を持ち上げ、何か橋脚のようなものを作っていた。1年前に来た時には、確かにそこは、見渡す限り、青い海だった。一体どうしたことだろう。

 瞬時にあることを思い出す。「あ、これが空港だ」常滑沖に中部新国際空港が出来るって、テレビや新聞でさんざん言っていたっけ。その時に地図を見て、常滑沖にできるとわかってはいたけれど、まさか、自分の大好きな海がなくなるとは、実感としてわかっていなかった。呆然として、防波堤に体育座りをし、工事の様子をじっと眺める。石で区切られた区画に土砂を入れ、それに併せて海水を汲み出すという方法で、海は、どんどん陸地に変わっていった。

 名古屋から、羽田でも、関空でも、2時間位で着いてしまう。名古屋空港だって、いろいろな空港を考えれば、結構、便利な所にあると思う。どうしても、この海を埋めて、空港にしなければならないのかとあれこれ考える。国の財政も県の財政も厳しいのだから、こんな計画は止めた方がいいという意見に対して、不況だからこそ、雇用を創出する公共事業をやるんだと、偉い人が言っていた。でも、ここで動いているのは、重機だけで、人なんてほとんど見えない。これでは、企業は儲かるだろうけれど、庶民にその巨額なお金が流れることなんてないのではないだろうか。
                                                                 
 そういえば。愛知県がやっている国家的2大プロジェクトのもうひとつ、愛知万博の工事現場の横を通ったことがあったが、そこも、重機だけが不気味にうごめいていた。政治家でも企業家でもないから、難しいことはわからないけれど、少なくとも、目の前に広がっている光景は、何か、割り切れなさとうさん臭さを感じさせる。本当に、これらは、多くの人を幸せにするプロジェクトなんだろうか。

 そんなことを考えていると、港から、一艘の漁船が出てきた。ジャンパーを着て、ヘルメットを被った工事関係者を乗せている。白髪頭の漁師さんが、船を運転している。先祖代々、守り通して来た漁場を埋める工事関係者を運んでいる漁師さん。どんな気持ちなんだろうか。僕だったら、モヤモヤすると思う。何か、すべての光景が、変な眼鏡を通して見ているかのように、ゆがんで見えてしまう。
 いつしか、日が沈み始め、オレンジ色に染まる太陽に影絵のように切り取られた工事現場は、何故か砂漠のように見えた。その日僕は、ひとつ、大切な場所を失った。その心模様は、何でも話せる友人を失った感覚ととても似ていた。 

 海という友人に相談できなかったけれど。その命と引き替えに、その日、僕は、大きなことを教わった気がした。福祉はマイナスだけではないということ。空港も万博も、現場を見る限り、本当に庶民の雇用創出になってはいない気がした。仮に、雇用を創出しているとしても、一過性のものに過ぎない。さらに、開発という形で、かけがえのないものを壊す。

 地方自治体の皆さん!地域福祉にたくさんのお金を使ってみよう。各自治体の負担は25%。残りの75%は国と県から補助金が来ます。そう考えると、公共事業誘致ですよね。しかも継続性がある。このお金でヘルパーを雇ったら、たくさんの雇用が生まれ、税金が入ってきます。
 ヘルパーさんはさらに、もらった賃金で、我が街の商店街で買い物をするでしょう。家を建てるかも知れません。ハンディを負ってもきちんとした保証が受けられるなら、老人もその蓄えを使い始めるでしょう。どうですか!福祉ってマイナスだけではないんじゃないですか?あなたの街に、他に、これ以上の成長産業がありますか!?

 将来的に福祉が一般財源化されても、お金の循環と地域社会の再生という視点で考えれば、意味ある提案だと思う。明日からは、この提案を胸に仕事をしよう。大好きな海の弔い合戦だ。

出典
戸枝 陽基
 “季刊誌「ふわふわ」2002年11月 『街の中でふわりふわりと考える』“より


一つ前のページへ戻る
FirstUpload 10/01/24-22:37
LastUpdate 10/01/30-17:20


Copyright © Hiromoto Toeda All Rights Reserved.