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Hiromoto Toeda Archive
戸枝 陽基(とえだ ひろもと)ワールドへようこそ。
時間の許す限り。ごゆるりとお立ち寄り下さいね。

街の中でふわりふわりと考えるvol.10「命の重さ」

 ふわりの事務所も、スタッフが増え、最近はいつもにぎやかなのだが、その日は珍しく、朝から、僕一人きりだった。他のスタッフがいると、どうしても僕の中に流れるお笑いの血が騒いで、ばか話しをしてしまい、仕事が進まないのだが、その日は、さすがにさくさくと仕事が進んでいった。

 ひとつ仕事が終わって、ふーっと深呼吸をし、お茶でも飲もうかとパソコンの前を離れる。事務所を出ようと襖を開けかけた時、電話が鳴り始めた。「はい。ふわりです」僕は、いつものように、電話に向かってよそ行きの声を出す。「あっ、とえださん?」受話器の向こうから、聞き慣れた声が聞こえてきた。リラックスした僕は、すぐに地声になり、「はい。とえだです」と答えた。

 聞きなれた声の主は、僕がふわりを始める前の施設で関わっていた、重症心身障害のある方のお母さんだった。僕は、そのお母さんから、オムツの購入について相談を受けていたので、その件で電話がかかってきたのだと早合点した。「ああ、オムツね。調べたけど、やっぱ、お母さんが買っているの高いですよ。いろいろな業者から見積もりもらえるから、比べてみますか?」僕が話し始めると、おかあさんが遮るように答えた。「ああ、ありがとう。もう、オムツはいいの」僕が、どこか、いい業者を見つけたのかと頭の中で考えていると、お母さんが続けた。「うちの子、今日の朝、息を引き取ったから」

 頭からすーっと血の気が引いていくのを感じる。「えっ、なんで?」錯乱した思考の中で、精一杯の返答を僕はした。「体調を崩して、入院していたんだけど、急に容態が悪くなって。きっと、心臓も弱っていたんですよね。今日の朝、息を引き取りました」僕は、何と言っていいのかわからず、言葉を失う。お母さんが続けた。「思い返すと、うちの子は、戸枝さんと出会ったお蔭で、すごくいろんな楽しいことや素敵な人達に出会えた気がするんですよね。だから、一言、お礼が言いたくて」僕は、絶句したまま、彼女と出会った頃を思い返していた。

 それは、社会福祉協議会からの一本の電話だった。障害が重くて、進路に悩んでいる方がいるので、戸枝さん、相談に乗ってくれないかというものだった。ふたつ返事で承諾し、日時を決めて、お家へ伺う。丁度、その日は、養護学校の訪問教育の先生が来ていた。

 僕は、部屋の隅で、訪問教育の先生と彼女とのやり取りをしばらく見ていた。確かに障害は重く、食事、着脱、移動等すべてのことに介助を必要としたが、大好きな先生との楽しいやり取りの中で浮かべる笑顔は、とても可愛くて、僕はいっぺんで好きになってしまった。

 お母さんが言った。「うちの子は、障害が重いから、施設は無理でしょ?」僕は答えた。「うちの施設は、もっと障害の重い人を受け入れたことがあるから、大丈夫ですよ」訪問の先生が、本人の思いを代弁して、抱いている本人に向かって話しかける。「お友達がたくさんいるところに、行ってみたいよね」それを聞いて、彼女はうれしそうに、にやーと笑った。それを見て、僕も心を動かされる。「春に卒業して、訪問教育が終わっちゃうと、楽しみがなくなちゃうよね。替わりに、楽しい施設だから、おいでよ」彼女が、いろいろな音楽が好きだと聞いて、さらに問いかける。「うちの施設は、レーザーディスクカラオケもあるんだよ」先生が、とても楽しいそうに、大きな声で言った。「すごーい!カラオケがあるんだって。大好きだよねぇ」彼女はその日一番の笑顔を浮かべ、「あーあー」と答えてくれた。本人との契約成立。その様子に、お母さんも心を動かされ、とりあえず実習をすることとなった。そして、施設の方も、前向きに考えてくれ、お母さんと一緒という条件つきながら、受け入れをしてくれた。
  
 施設に通い始めた彼女は、体力的な問題等で、毎日施設に来ることはできなかったけれど、その分、誰よりも施設に来ることを楽しみにしてくれた。僕が、ギターを弾くと、らんらんと目を輝かせて聴いてくれた。それがうれしくって、彼女が施設に来ると、僕は、時間の許す限り歌っていた。彼女の障害の重さから、初めはおっかなびっくりだった職員達も、すぐに彼女を好きになって、一生懸命対応してくれた。他の利用者の方達も、お母さんがいつも抱いている、とても小さな彼女を赤ちゃんと思うらしく、頭をなでたりして、とても可愛がっていた。

 その後、僕は、ふわりの立ち上げのために、その施設を退職した。ふわりが始まった時、彼女の家こそ、お母さんに休息が必要だし、彼女にも、さらにいろいろな経験をしてほしいと思って、お母さんに会って、入会を勧めた。お母さんは、「本当にふわりをすぐにでも使いたい。でもうちはお金がないから、会費が払えない。戸枝さん、お金が払えない人は、ダメでしょう」と言った。僕は、泣きたくなりながら、お母さんに答えた。「お母さん、ごめんね。僕も、かすみを食べて生きていく訳にはいかないから、今は、会費をいただかないと、サービスできないんです。でも、実績をつんで、いつか必ず行政に認めてもらって、お金のない人でも使えるようにするからね。それまで、待っててね」
 その日から、僕の中で、彼女の残り少ないであろう命の火が消える前に、ふわりを公的サービスにして、補助金を貰う事で利用料を安くし、彼女にもサービスを届けるというチャレンジが動き始めた。

 僕は、がむしゃらに頑張った。周りからは、急ぎ過ぎだと言われ続けた。階段を一歩いっぽ確認しながら、着実に上がりなさいと言われた。あなたのやり方は、危なっかしくて、心配だと言われた。でも、僕には、それらの言葉は、ふわりが本当に必要なのに使えない方達が、見えていないから発せられる言葉としか思えなかった。だから、僕は、自分でもスピードを出し過ぎだとわかっていながら、たくさんの人が着いて来ていないかもと心配しながら、すごいスピードで走った。でも、間に合わなかった。

 電話を切って、泣いた。子どものように、おんおん泣いた。事務所に誰もいなくって、ラッキーだった。しばらく空を眺めて、気持ちを落ち着かせた後、彼女の家に走った。僕が彼女の家に着くと、病院からみんなで戻って来たばかりのようで、家の人が、葬式の日にちや段取りを話し合っていた。僕は、ひとり、彼女が寝ている部屋に通してもらった。顔にかけられている白い布を取る。彼女の顔は、なぜか、ほっとしたような、安らかな顔に見えた。きっと、すごく頑張って生きて来たんだろうなと思った。精一杯生きたからこそ、それが終わってほっとしているんだろうなと思った。
 僕は、手を合わせて、心の中で、彼女に呟いた。「ごめんね。戸枝さん、もう一度一緒に歌いたくて、頑張ったんだけど、間に合わなかったね。本当にごめんね」そして、自分の力不足を心に刻むために、一生忘れないほど、じっと彼女の顔を見つめ、頭に刻み込んだ。

 彼女の寝ている部屋から出てくると、お母さんが待っていた。「戸枝さんと出会って、施設に行けて、その後、デイサービスにも通えて、本当に幸せだった。ありがとうね」お母さんは、僕に感謝の言葉を並べる。僕には、その言葉の一つひとつが痛かった。「違うよ、お母さん。最後の数年間、もし、娘さんがふわりを使えていたら、大音響のコンサートに連れて行ってあげられたかも知れない、大好きなカラオケをもっとできたかも知れない、大好きな施設やデイサービスにもっと通えたかもしれない。僕は、それがわかっているのに、ふわりという組織を守るために、サービスを届けなかったんだよ。すごいひどい人なんだよ」僕は、心の中でそう叫んでいた。

 通夜の日、他のスタッフと、斎場に行った。利用が終わってから駆けつけたので、もう、ほとんど人はいなかった。でも、そんな会場に、通っていた施設とデイサービスの職員がずっと残っていたので、その様子から、彼女が、その人達にもいっぱい愛されていたことがわかり、少しだけ、心が救われた気がした。

 焼香をし、会場から出て、車に乗る。若いスタッフ達に僕は呟いた。「僕は、こんな思いをするのが嫌だから、早く生活支援をたくさんの人に届けたいから、突っ走っているんだよね」スタッフは深くうなずいた。すべての命が大切にされる社会。理想主義者の夢想なのだろうか。僕は、後いくつ、こんなやり切れなさに、心を切り刻まれるのだろう。


出典
戸枝 陽基
 “季刊誌「ふわふわ」2001年7月 『街の中でふわりふわりと考える』“より


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