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Hiromoto Toeda Archive
戸枝 陽基(とえだ ひろもと)ワールドへようこそ。
時間の許す限り。ごゆるりとお立ち寄り下さいね。

街の中でふわりふわりと考えるvol.7「豪雨」

 平成12年9月11日、激しい雨が東海地区を襲った。僕は、その日の夕方、強い雨の中、暗くなり始めた街を車で走っていた。半田を流れる神戸川の横を通ると、見たこともないような水位になっていた。そこからふわりに戻る途中、水田横の道を通ると、この春生まれたであろう蛙がピョンピョンと跳ね、一斉に山の方に上がって行く。その様子を見て、何か嫌な予感がした僕は、とりあえず家に帰り、戸締まりをし、泊まりの支度をしてふわりに戻る。予想通り長い夜となった。
 
 ふわりの建物は、地形的に近所でも高い所にあるので心配ない。それより、自宅が低い所にあるスタッフが多く、心配になる。携帯はなかなか通じなかったが、携帯のメールは時間がかかるが何とか通じる。スタッフがひとり、自宅の床上浸水で避難所にいることがわかる。夜中2時頃、雨の弱まるのを待って迎えに行った。
 
 12日は、情報集め。夕べは電話はなかったが、浸水して困っている家庭がないか心配だった。養護学校はバスが走らず休み。街の至る所が冠水しているためだ。ふわりも送迎ができないため、デイサービスを休む。レスパイトもキャンセルが次々入った。
 
 13日、デイサービスで使っている畑で、休憩用に置いてあって枕木が隣の田んぼに流出しているとの連絡が入り、朝から拾いに行く。男二人で担いでもずっしりと重い枕木が方々に行ったしまっているのを見て、豪雨の勢いを再認識させられた。
 
 昼には畑の作業も終わり、午後からは、やっと利用者が来てくれた。これで、平常に戻ったなと思っていると、夕方、名古屋市西区で僕達と同じ障害のある方の生活支援をしているコンビニハウスから電話が入る。
 
 コンビニのある名古屋市西区は、今回の豪雨でもっとも被害の大きかった西枇杷島町に隣接している。コンビニの利用会員の多くが、そこに住んでいて被災した。被災家庭は10件近くなるらしい。そのため豪雨の晩から、スタッフは会員の安否確認、非難してきた方の介助で休んでいないこと。「一晩だけでいいから、介助に来てもらえん?」という、代表の大川さんの言葉に、ふたつ返事で了承し、急いでふわりで残務を片付け、コンビニに向かう。
 
 安全点検や崖崩れで、所々の道路が車線規制をしている。お陰で、いつもは1時間もかからないコンビニへの道のりが倍以上かかってしまった。
 
 コンビニに着くと、早速一緒に泊まる方との対面。様々な記録を見せていただく。本人は、笑顔で僕を迎えてくれ、家が浸水したショックなど、その時は感じなかった。
 
 「西枇杷島はそんなにすごい様子なの?」と僕がスタッフに聞くと、スタッフと一緒にいた女性の利用者の方が、まず、目の前のミネラルウォーターを指さして水が来たことを、次に、手を開いて床から少しずつ上にあげることで水かさが増す様子を表現し、その後に冷蔵庫や棚を指差しては、その一つひとつが倒れる様子を教えてくれた。その表情からも、いかに恐かったのかが伝わってきた。
 
 にこにこ顔で、夕食を食べ風呂に入った、僕と一緒に泊まった方も、「もう、寝ましょうか」と言って部屋の電気を切った瞬間に「うぉーん!」と泣き出した。そして、僕より体重のありそうな大きな体を丸め、しがみついてきた。その瞬間に、大好きなコンビニに来ている喜びで包み隠されていたけれど、その方の中にも豪雨の恐い体験がしっかり刻み込まれているということを実感し、僕も悲しくなる。暗闇の中で、大の男が二人しっかりと抱き合っていた。
 
 結局、その晩、その方は浅い眠りしか取れなかった。僕も一緒にほとんど眠れなかったけれど、気持ち的には、次の日14日も、そのまま朝から何かコンビニでお手伝いしたかった。でも、あいにく、その日はふわりが忙しく、僕の性格を知り尽くしているふわりスタッフが、前日ふわりを出る前に言った「絶対、帰ってきて下さいよ」の念押しの言葉を思い出し、そそくさと帰ってくるこになった。
 
 とにかく、コンビニにいる方達を家に帰してあげるには、まず、家の復旧が必要だった。翌15日、そんな僕の心を慰めるかのように、ホームページ上での呼びかけに応え、サポーターさんと会員のお母さんがコンビニのボランティアに参加してくれた。水の引いたコンビニ会員の方の家に行き、床の泥を拭いたり、集まったボランティアのための昼食を作ったりして下さった。本当に支援の手が欲しくてないのは、災害後3日間だということを学ぶ。行政を始め、各種団体のボランティアが組織化された頃、コンビニの復旧ボランティアは、すでにその任務をほぼ終えていた。
 
 今回災害で、僕は、実に多くのことを学んだ。まず、水害時の障害のある方の家族の心理について。結果的に、避難所に行くことに家族が二の足を踏んでしまう方、具体的には、自閉的傾向があったり、重症心身障害があったりして環境適応力が弱い方の家庭は、逃げ遅れた方が多かった。子どもの心理的負担を考えて、迷っているうちに水が来てしまい、身動きが取れなくなったのだ。普段通っている施設、学校、そして、身近な生活支援ハウスなどが避難所指定されていて、必要充分な受け入れ体制を持っていたら、こんなことにはならなかったろう。
 
 次に、災害後、水に浸かる障害のある方の家庭に、ボートで食料を最初に届けたのは、行政でも自衛隊でもなく、昼間通う施設でもなく、コンビニだったという事実について。重症心身障害の方などは特に、飲み水に困ったようだ。コンビニ代表の大川さんが言った。「私ら、日頃生活支援していると、やれ夜中に母ちゃんが倒れた、やれ今すぐ利用体制を組めなんてことは日常茶飯事だもんね。今回はそれが豪雨になっただけ。だから、すぐに対応できるんだわ」まったく同感。ハードの福祉も確かに大切だけど、障害のある方の生活のすぐ側に、小回りが利き顔の見えているソフトの福祉がある安心感。生活支援サービスの新たな役割、その意義深さを再認識させられた。
 
 それから、結局、社会的に弱い立場の方が、災害後も泣いているという事実について、災害復興の貸付なんて、本当に必要な人は、ハードルが高くて借りられない。古い借家が被災し、大家も再建を諦め、多くの障害のある方、お年寄りが住み慣れた地域を後にしたと聞く。確かに被災した人はみんな大変だけど、一律に見舞金ってどうなんだろう。この国のいびつな平等主義がこんな所にも顔を出す。
 
 百年に一度の水害らしい。でも、新聞で、あるお年寄りが、私は百年に一度の水害に伊勢湾台風以降、3回もあったとコメントしていた。きっと遠くない次が起こった時のために、今、弱い立場の方の訴えに、ひとつずつきちんと応えなければならない。
 
出典
戸枝 陽基
 “季刊誌「ふわふわ」2000年10月 『街の中でふわりふわりと考える』“より


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